父親は経験で父親になる

僕の同僚があるとき、僕にこのようなことを打ち明けてくれました。

「子供が産まれたとき、正直無条件に可愛いとは思わなかった。自分は異常だろうか」

その言葉にちょっとドキッとしました。

僕も二人の娘がいますが、長女が産まれたときのことを思い出してみると、やはり「無条件」には喜べなかったことを思い出したからです。

娘が産まれたことはとても嬉しく、母子ともに元気であることに感謝をしました。

自分の子供は可愛いなと思いました。

ただ、それとともに茫漠とした不安感のようなものも湧き上がりました。

子供の将来に対する不安。自分の父親としての役割に対する不安。僕は子供が好きでした。小児科か内科どちらを専攻するかを悩んだほどです。にもかかわらず子供を愛せるかという不安。

 

産まれたばかりの子供を抱く妻は本当に幸せそうでした。

子供と妻の間にはすでに繋がれた10ヶ月間があり、そこで培った愛情は他の介在を許さないほど盤石なものに見えました。

その妻をずっと見てきました。妊婦健診にも毎回付き添い、エコーで大きくなっていく胎児を見て妻と喜び合い、お腹を蹴るようになるとそれを触らせてもらったりしました。父親教室にも参加しました。

父親としての準備を自分なりにやってきたつもりでした。

でも産まれてきた子供を見たとき、やっと会えたねという感じにはなりませんでした。初めまして、これからよろしく、という感じでしょうか。

産まれて来てくれて幸せでした。産まれて来た子供は可愛かったです。でも初めて会った自分の子供という存在に、突然全てを捧げられるような無条件の愛情を持ち得なかったとも思うのです。

 

同僚も表現は少し違いましたが、僕と同じようなことを感じたのではないでしょうか。

 

出産後退院して妻と子供が自宅に戻ると、妻が夜中ちょっとした泣き声でムクリと起き上がり授乳を開始する姿を僕たち父親は目の当たりにします。

母親が産まれて来た子供に突然全てを捧げられるようになることに、僕たちは驚かされます。

父親にはそれが突然はできません。

なぜ自分は子供の泣き声で夜中起きれないのか。

愛情が足りないのか。そう感じるお父さんもいるかもしれません。

しかしそれはおそらく違います。

その答えはいわゆる母性愛ではないからです。母親のとることのできるその行動を療育行動と言います。

 

療育行動は俗に母性本能とも言われています。(しかし後述しますが本能という言葉は適切ではありません)

我々哺乳類は未熟に産まれてくるため、親からの保護を受けなければ成長することができません。

その保護の一つが授乳です。

授乳は女性にしかできない療育行動で、子供の要求(愛着行動と言います)にうまく応答できるようにプロラクチンやオキシトシンなど女性特有のホルモンの調節を受けて作動するようになっています。

出産をすると乳腺を発達させるホルモンであるプロラクチンが大量に分泌され、母乳が作られるようになります。また子供との接触や泣き声によりオキシトシンというホルモンが分泌されます。このホルモンは母乳の分泌を促進する働きがあり、それにより乳首から母乳が効率よく分泌されます。子供が乳首を吸うとこのオキシトシンはさらに分泌されます。オキシトシンは心を落ち着かせたり、幸福感や安心感を感じさせる力があるため、母親は子供の泣き声から授乳までの一連の行動で幸福感を得られ、授乳という動作を自然にできるようになるのです。

こと授乳という初期の代表的な療育行動に関しては男性にはそのホルモン分泌機構が備わっていないため、父親は実施することができません。

オキシトシンは男性にも備わっているホルモンですが、子供と接触しても母親のように大量に分泌されたりしないので、無条件な幸福感や安心感を感じたりはできません。

出産直後に母親が見せる無条件な愛情表現はホルモンに調節された療育行動の一環であり、子孫繁栄のために仕組まれたプラグラムなのです。(もちろん愛する気持ち全てがプログラムと言っているわけではありません)

 

母親のその無条件の愛情を見せつけられると、なんとなく男性は気後れします。

自分にそんなものがないからです。そのような能力を持った母親の方が子を育むのに向いているのではないか、そう思います。

でも気後れする必要はありません。

療育行動は母乳の授乳だけではありません。抱っこ、オムツ交換、人工乳の授乳、お風呂、寝かしつけ、むしろ母親しかできないのは母乳の授乳だけで、それ以外の療育行動は母親でも父親でもできるものなのです。そして母乳の授乳以外の療育行動はホルモン調節ではなく過去に自身が親に療育された経験や他の人が子育てをしている様を観察すること、現在自身が子にしている療育の経験によって実行されていると言われています。つまり、母親もそれらを本能的にやっているわけではないし、それに対してホルモン調節に支配された無条件の愛情をもって実施しているというわけでは無いのです。

 

妊娠から出産、新生児期の授乳まで、ホルモン調節による無条件の愛情がスタートになっている母親に対し、父親は産まれてきた我が子を抱くという経験が愛情のスタートです。

産まれたばかりの子供を愛することについては母親に一日の長がありますが、父親が気後れする必要はありません。お父さんはそこからお父さんになっていくのです。

世のお父さんたちは、まず怖がらずに、子を抱っこし、オムツを交換し、お風呂に入れてみてください。

そうしているうちに、顔をじっと見つめてきてきてみたり、口元をふんわり緩めてみたり、お風呂で気持ちよさそうにしてみたりと、子が何らかの小さなリアクションをしてくれるでしょう。それに喜びを感じるなどの経験の積み重ねが父が子に注ぐ愛情の素になっていき、ひいては、子供の為なら命も捨てられるような、全てを捧げられる無条件の愛情を手にすることができるのだと思います。

かく言う僕も子供が産まれた日から父親を自覚し、抱っこをし、オムツを替え、お風呂に入れ、寝かしつけをしながら、子供のリアクションをもらうことで幸福感を感じ、より父親になってきたと感じています。

 

僕は今、毎日子供達を幼稚園に送って行っています。

長女を送り始めた数年前、子供を幼稚園に送る父親は僕ぐらいでした。

でも今は僕の他に何人かお父さんが送ってきています。

時代は急速に変わっているようです。

父親が子育てに積極的に参加する時代。いい時代です。

お父さんたちが仕事と同じように子育ても楽しんで、経験を積んで、より愛情を注げるいいお父さんになる。そうするとお母さんの負担は少し軽くなり、お母さんの笑顔が増える。

そこにはきっと幸せな家庭があり、幸せな子供達がいるのでしょう。

男女の区別なく愛情のある療育ができる社会が来るように、私も小さい法人の長ですが、自分が率先して子育てに参加することで、自分の職場から環境を変えていきたいと思っています。

長嶋 理晴 | 日常 | 01:07 | comments(0) | - |
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